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観光・文化・イベント情報



    大クス
(町指定記念物)

クスノキは西日本の暖地に育成する常緑高木です。
生長が早く長命で大木が多いことで知られています。
伝宗時の境内に、幹周8.7m、樹高14.7mのクスノキの老木があり、樹齢については確かなことは不明ですが、平安の昔、藤原の純友が日振島を拠点に海賊の将として略奪を行っていた頃、追捕に源経基が派遣されたが純友に敗れその一部がこの地に住みついたと伝えられています。
その頃にはすでに大きく枝を張っていたことから、樹齢1000年余と推定されます。


    得能主善ゆかりの地
 
 

(町指定記念物)

得能主善は、周桑郡徳田村(現西条市)出身で、もとは河野氏系の浪人であったと伝えられる人物で、のちに、宇和郡領主西園寺公広の十五将の一人、八幡浜萩森城主宇都宮房綱の豪族として、九町長崎城を拠点に、石高二四一石四斗二升を領として、中世末期の九町浦、二見浦一帯を治めた。

得能主繕ゆかりの地
 得能主膳は、周桑郡徳田村(現西条市)出身で、もとは河野氏系の浪人であったと伝えられる人物で、のちに、宇和郡領主西園寺公広の十五将の一人、八幡浜萩森城主宇都宮房網の豪族として、九町長崎城を拠点に、石高二四一石四斗二升を領して、中世末期の九町浦、二見浦一帯を治めた。

得能森
 得能森には、得能主膳が祀られている神社がある。主に近隣の得能姓の人々を氏子とするが、伝説ではこの一族が十三戸以上増えることはないと伝えらえる。

沖の城
 九町保育園の南側にある小高く盛られた場所で「沖の城」と呼ばれているが、城跡ではない。『町見郷土史』には「一説には主膳その終る所を知らず、敵しきりにこれをもとめしも遂に得ず、沖の城の付近の田園に百姓にまぎれてありしが遂に到底かなはざるを知って、その所持品を沖の城に埋めて梵田(寺の地所)に於いて自刃す」とあって、得能主膳に関わる物品が埋められていると伝えられている。

梵田
 現在の天徳寺の東、宅地に囲まれた農地の隅に石造層塔が建っている。「梵田」は寺の土地という意味で、かつてはここに天徳寺があったと伝えられている。天和元年(1615)成立の『宇和旧記』に、「一、海南山天徳寺、(中略)此寺の門前田の中に、城主得能主膳石塔有り」と、すでにその存在が明記されており、『町見村郷土史』では「通明ノ死体ヲ埋リタル所ニテ墓碑アリ」と記し、得能主膳(通明)の墓と伝えられてきたが、詳らかではない。

 
 





   市右衛門の墓
 
(町指定記念物)

江戸時代後期に伊方町の伊方地区でおきた一揆(伊方騒動)の首謀者、市右衛門の墓碑である。
この一揆は文政13年(1830)春、当時伊方浦庄屋辻屋辻長次兵衛とその職を譲られた息子喜平太の浦人に対する酷使や年貢の横領に反発して勃発した。
首謀者の市右衛門は、天保2年(1831)宇和島で斬罪となったが、遺体は故郷に戻され義民として多くの浦人に慕われ、その墓碑が法通寺で境内に建てられている。



    クロキヅタ
 
 
(町指定天然記念物)

クロキヅタは、本来熱帯地方から亜熱帯地方にかけて分布し、日本では島根県隠岐の西ノ島の黒木御所跡付近で発見された為に、この名がつけられた。
現在わが国では、数ヶ所でしか見ることができない海藻で、伊方町では、昭和29年に仁田之浜の海岸に群生しているのを発見された。
今では秋から春にかけて、防波堤周辺の海底等で見ることができる。
 


   丸岡城「城の台」
 
(町指定記念物)

中浦字丸岡、法通寺の上方にある小高い丘の一画に、「城の台」と呼ばれるところがある。
戦国時代有馬右兵衛之佐藤原義通を城主とする中世城郭、丸岡城の跡地である。
周辺には、堀の上、船堀、空堀、城ヶ鼻など、城にまつわる地名が多く残っている。

    長崎城跡
 
 
(町指定記念物)

九町地区の須賀の海岸近くにかつてあった九町池の上方に城跡がある。
長崎山の尾根をうまく利用して、城跡の北側を土塁で固め、南側に空堀と思われる跡が認められる。
近辺の地名や小字(ほのぎ)にも台・城戸・城の首・音津・屯場・乗り越・烽火場・城道など、城跡を思わせる名称が多く残っている。
 

    五輪塔
(町指定有形文化財)

  五輪塔とは、仏教でいう宇宙の構成要素を表したもので、上から順に空輪、風輪、火輪、水輪、地論が積み重なり供養塔婆として平安後期頃からみられる。
 浦安の妙楽寺の境内にある五輪塔数基ひときわ大きい花崗岩製の二基は、向かって右が寛永13年(1636)になくなった近江国長浜城主佐々木六角承禎の曾孫、佐々木六郎左衛門源義行(戒名「本登清覚禅定門」)、左が寛文2年(1662)に亡くなった妻タノ(戒名「清宥妙森禅定尼」)のものです。
 明確な記年名と戒名を記した五輪塔としては貴重な石造物です。


    一里塚(九町/川永田)
 
 
(町指定記念物)

道路の脇に一里ごとに木を植えた塚を一里塚といい、日本では江戸時代、徳川幕府が制度として完成させた。宇和島藩でも、主要街道に一里塚が築かれたが、二代藩主伊達宗利の命によって、延宝元年(1673)に、黒松が植えられ、一里松と呼ばれるようになった。本町では、伊方浦川永田、九町浦九町三宝寺、二見浦加周の石神(佐市峠)にあったとされるが、このうち川永田、九町三宝寺の二ヶ所を史跡に指定している。






    ナギ
 
 
(愛媛県指定天然記念物 ナギ)

 ナギはマキ科の常緑高木で、温暖な地域に自生し、古くから神社仏閣等に植えられた木で法通寺のものは雌木で、5月下旬から6月上旬に開花する。その葉は葉脈に沿った方向に引っ張るとなかなか引きちぎれないことから、チカラシバあるいはベンケイナカセとも呼ばれている。
 樹高およそ19m、幹囲3.24m樹齢およそ700年と見られ、鎌倉時代に植えられたものと推定される。



   きそん(節)
 
(町指定無形民俗文化財)

 九町地区で毎年お盆の8月14日夜に踊られている盆踊り。かつては23日も「盂蘭盆会」(うらぼんえ)として踊られた。起源は天明年間(1781|1789)以後といわれている。歌詞はすべて七・七・七・五の字数で構成され、必ず最初に「出石山ほど高い山ないが〜」最後は「千秋万来思い事かのた〜」の歌詞をつける。かつては即興の唄も数多く歌われたようで、現在も多くの歌詞が伝えられる。
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